2005年6月27日に『CRおニャン子クラブ』 (Sansei R&D)が検定を通過した模様。80年代に一世を風靡したあの「おニャン子クラブ」が遂にパチンコとなって復活します!!
というわけで、80年代アイドルフリークのまつゆうとしてはこの状況を黙って見過ごす訳にはいきませんっ!!
是非とも『CRピンクレディー』 (大一商会) のように人気・設置台数ともにホール・ユーザーに愛される台になってほしい・・・という願いのもと・・・
「スロ☆パラは勝手にCRおニャン子クラブを応援します」
と宣言します。っつーか、盛り上がりも無いままに撤去とか嫌だし、っつーかそういう気配ありありだし、ウチだけでも応援してあげないと・・・ね。
せめて「CRウッチャンナンチャン」は超えてほしい
と志は高く・・・ _| ̄|○ 高いのかよ。
と言うわけで、CRおニャン子クラブがホールに登場する前に「おニャン子クラブ」に関しての予備知識を嫌と言うほど公開していく予定です。第一回目の今回はおニャン子クラブの簡単な説明です。20年も前だから今の若い人は知らないのかも・・・、ちょっとショックw
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■ goo音楽 アーティスト情報より
それは80年代中頃の出来事……。あんなにクラブ活動に熱心だったA君も、毎日塾通いだったガリ勉のB君も、放課後も学校にたまっていた不良のC君も、授業が終わると同時に、みな一目散に自宅へ向かって駆け出し始めたのだ。そう、アレを見るために……。
85年に始まった、女子高生集団おニャン子クラブをフィーチャーしたテレビ番組『夕やけニャンニャン』は、午後5時スタートというテレビ局にとって空白の時間帯だったにも拘らず、結果的にゴールデンタイムに変えてしまう革新的な番組だった。彼女たちの素人っぽさ(実際に素人だったのだが)は、それまでのアイドルらしいアイドルに飽き飽きしていた当時の少年たちにとって、超新鮮に映ったのだ。
好きな男の子についてやHな会話をあけっぴろげにする彼女たちは、視聴者に同級生と錯覚させ、手を伸ばせば届く存在に思わせた。カワイコぶりっこ新田恵利、マドンナ河合その子、冬でも黒い福永恵規、元気ムスメ国生さゆり、天然ボケ高井麻巳子……とキャラの立った彼女たちには、それぞれファンの派閥ができるほどのフィーバー状態。
その人気に乗じてリリースされた「セーラー服を脱がさないで」では、「友達より早く、Hをしたいけど」という衝撃的な歌詞を披露し、日本列島を戦慄させたのだった。その後も「およしになってねTEACHER」「おっとCHIKAN!」などスレスレな内容のシングルを発表し、思春期の少年たちをいたく刺激。また、別ユニットうしろゆびさされ組、ニャンギラス、そしてソロにおいてもシングルを連発し、人気を博した。おニャン子クラブは、87年に惜しくも解散するものの、彼女たちが確立した新しいアイドル像は、現在のチェキッ娘やモーニング娘。に受け継がれている。
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おニャン子といえば夕やけニャンニャンと言っても過言ではないです。というか、夕やけニャンニャン(オールナイトフジ
女子高生スペシャル含む)がなければおニャン子はいないです。工藤静香も満里奈も美奈代もいなかったかもしれません。
当時のおニャン子クラブの勢いを語るのに手っ取り早いのがレコードセールス(CDじゃないのねん)。突出したセールスでも無いし、現在のセールスと比べると貧相に見えるのですが、名誉・不名誉様々な記録を打ち立てております。
'86年、52週のうち36週(30作)がおニャン子関係の楽曲でオリコン1位を獲得
女性アーティスト初のデビュー曲1位を獲得
史上初、演歌でのオリコンチャート初登場1位を獲得 [城之内早苗 / あじさい橋]
デビューから解散までオリコン最高位は1位のみ [ニャンギラス / 2曲]
オリコン1位獲得曲で累計10万枚割れ [おニャン子クラブ / かたつむりサンバ
他]
などなど。活動した期間は約2年半ですが、全盛期は'86年の1年。モーニング娘。に比べるとかなり短いです。にも関わらずかなりのインパクトを残しているのではないでしょうか?
次回はおニャン子クラブのメンバーを紹介したいと思います・・・、
54人 (会員番号52人 + B組非昇格2人)もいますよ
ちなみに香港研修生のヨリンダ・ヤンを加えると55人ですよ。
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